あれはタヌキだよ

動物との暮らし

2012年2月25日 (土)

あれはタヌキだよ

 あれは、タヌキだよ。
 

重い玄関の引き戸を開けると、広い台所のまん中。夏火鉢に手をかけて、学校帰りの僕を当り前のように出迎えてくれる生き物は。
 

まるでお年寄りが火にあたりながら、家人の帰りを出迎えるかのよう。
 

 あいや、もう、帰ってくる時間になったのかえ。それじゃ、お風呂でも沸かそうかね。
 

誰もいない、だだっ広い、でも八畳ぐらいのはずだよ。
 

厳しい冬や暑い夏に持ちこたえられるように、広い軒先があって、光があまり入らない。天井は、煤けた太い竹が並んでいて、高い。二階建てではないのだが、ツシという天井裏があって、そこが米俵やお茶の貯蔵庫になっていた。
 

土間でしょ。そして、1段踏み台を置かないと、お年寄りでは上がるのに少し大変なぐらいの高さで、ヨッコラショと上がらないといけない高床の台所があって、その先に、また一段高い、黒光りした板戸で締め切った、座敷があった。その奥に、襖で仕切られた奥座敷で、そこには仏壇と床の間があった。台所も座敷も床が高い。だから、床下は野生の生き物が生活しようと思えば、かなり快適に暮らせる空間だったんだ。
 

玄関から土間、その先に広い台所、そのど真ん中に、柔らかな間接光に浮かぶ、その生き物の姿があった。
 

クロもメリーさんも、トラねこさんも、チェリーもその当時は、その家にはいなかった。その家を占拠していたのは、人族のつがいとその子どもたちだけだった。その人族は、ムカデや蜘蛛やネズミ族には困っていたが、他の生き物族が同居するのに寛大だった。
 

時々、ヤモリ様が夜遅くまで受験勉強するスタンドの明りに寄ってきて窓際にはりつきなさるのに、勝気娘が騒ぎ立てることや、ここのボンクラ息子が薄暗がりでズボンをはきおえて、床のベルトに手を出すと、ベルトが動き出して、肝をつぶすぐらいのことがある程度で、同居が前提であることに誰もが動揺することはなかった。
 

特に太くて長いベルト様には、太ければ太いほど、長ければ長いほど、この家の主だということで、畏敬の念を払いながら、首根っこを掴まさせていただいて、屋外に放り出させていただいていた。
 

丁重にお引き取り願うのを常としていた。ねずみ族の天敵様でもあったので、余計、無暗に手荒に扱わさせていただくこともなかったのだとも思う。 

ベルト様がお現われになると、お相手をする役割は、だいたい男で、何とかがついているから、こわくないでしょと、よく説明のつかない説得をされて、拒むことは出来なかった。躊躇すると、ちょっと言い回しを変えて、何とかをどこに置いてきたのと揶揄されてしまう。子どもであろうが、例外とはされなかった。本当に、いまだかつて、その何とかが怖い場面で役に立ったことを経験したことは一度もないのだが。
 

で、これが女だけのおうちとなると、隣の人も巻き込んで大騒ぎになったりして、まあ、お祭り騒ぎになるんだ。昼飯なんぞを喰らっている折に、ツッカケなんぞをカラカラカラカラと弾ませて、息を切って駆けこんでくる。

 出た、出た。なんとかしてよ。押し入れに居たんだから。早く来て。なんぞと言われ、とにかく、来て、で、とにかく行ってみる。
 

これ、これ、そこ、そこ、そこよ。で、押し入れの中には、行李と段ボール箱しか見えない。行李の端を指差して、体丸ごと、のけぞりながら。いるのよ。そこに。
  

何がいるのかは言わない、口にするのも嫌だというふうで。そこよ、その裏よ、そこにいるのよ。分かるでしょ、そこにいるじゃない。見えるじゃない。と言いながら、自分は目を逸らせていたりする。結局、それを追い出すまで、その生き物の種族名は口に出さなかったりする。
 

勇気のある女の人は、火箸という、どこにでもあるカマドで火の中にある薪や火のついた炭をさばく時に使う。通常の大きさの青大将が、鎌首をもたげても、もたげた分の6倍程度の長さの帯状の鉄材を器用に折り曲げた、だから使用時は3倍。あの火箸だ。ひょっとすると、油断していると火箸を持っている手に一撃をくらう可能性のある長さではある。その火箸で、やっぱり、首根っこを挟む。必死で挟んで、近くに川があれば、タタタタタと速足で川に行って、全身の屈伸運動を使って、放り投げる。後は見ないというのがポピュラーな対応策なのだ。
 

 で、この時とばかりに、日ごろ目立たない僕は、こういう時こそはりきって、この任に当たるのだ。で、学校でも、教室に大きな蜂が入り込んできたりすると、僕は嬉々として、そうする。それが勇気がある行動ぶりだと思い込んでいたりするから、その、特に女の子がキャーキャー言うと余計に張り切って、蜂に何の迷いもなく一撃を喰らわせるものだから、その学期の通知表のコメントには、「残虐性があり、心配です」と書かれてしまう。
 

  女の子たちも蜂を叩き潰す行為を好む訳はないので、結局気味悪がられるだけ。母上はその評価を取り消すのに必死、大変迷惑をかけてしまった。この子はやさしい子なんです。いつも、私のことを心配してくれて、肩を叩いてくれたり足を踏んでくれたり、お手伝いもよくしてくれますし、牛の面倒もよく見てくれているんですよ。
 

それはそれとして、ともかく、その小顔で小柄な、柔らかでフワフワした毛皮をまとった住人は、何、もう、帰って来ちゃったの、って、ちょっと眉をひそめて、しょうがないなーって顔をしている。
 

えっ、邪魔しちゃった。
 

自転車を土間に入れながら、思わず、その住人に、ヤア、って言っちゃったね。
  

すぐには立ち去る様子もなく、僕がスタンドを立て終えて、アガリトにいつものテンポで向かうところで、やっと体を起こして、背を見せながら、炊事場の方に何事もなかったかのように姿を消した。炊事場の隅に、この方の床下への出入り口があるのは、みんな知っていた。

知っていると言えば、時々母上が、僕たちが食べるものと同じものをこの住人に与えているのは、僕だけが知っていた。それは、母上は知らなかった。 

それだけでない、僕が知っているのは。母上が毎夜家人に知れないように、自分だけ赤玉ポートワインを飲んでいることも知っていた。 ひょっとしたら、この住人もご相伴にあずかっていたのかもしれない。

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